「黄昏の君 ヴォルフィーネ 第2部〜王女と女神と闇の竜〜」 第二部のあとがき
:2017/8/26
ときてっと

 恐らくこのあとがきまで目を通している読者は「ほんとうの物語シリーズ」の熱心な読者であると思われる。その為今更前置きするまでも無い事ではあるが、本あとがきは「黄昏の君」の重要なネタバレを含む為、作品読了後に目を通す事をおすすめする。また、当然の様に深い関係のある関連作品「リズベルルの魔」にも触れる為、ご注意を。


 「黄昏の君」第一部となる「〜真昼の国と月の国〜」はもともと一本で完結する作品であるとアナウンスしていたが、実は同一の世界観に存在する別の国を舞台とした作品をいくつか作り、最後にそれぞれの主人公達が一堂に会する事で長編シリーズとする構想があった。
 実際にはこの構想は実現せず、「第二部」の主人公は「第一部」から引き続きフィモシーが務め、彼女の成長をじっくりと描く事となった。
 理由としては「第一部」が思いの外工数がかかって大変だったと言う、制作上の都合がある。
 加えて続編の為に設けたフック……シェイダの三人の兄、エンリユイの短刀のほんとうの意味、最後の試練でフィモシーが見た未来の自分、そして闇竜の正体……これらを描くだけでも物語が膨らむのは間違い無い。
 文章のみで描く小説なら幾らでも登場人物や国を増やす事が出来るが、本企画にはビジュアルも必要で、スタッフは自分一人となれば、やはり当初の構想はやや盛りすぎだったかと考えを改めた訳である。



 人が誰しも生まれながらに持つ純粋さ、やがて失われるからこそ尊いもの。
 それが「第一部」のテーマだった。
 フィモシーと出会う人達は彼女の純粋な輝きに導かれ、立ち直り、気付きを得る。
 「第一部」の感想をくれた方は決まってこの物語を「フィモシーの成長物語」と言うのだが、これは実は誤りだ。何故なら「第一部」の中でフィモシーはもって生まれた輝きによって人々を照らしているのであって、それは成長して得たものでは無い。初めから己の内に光があった事に気づいただけである。
 そして物語の重要な場面。最後の試練において無垢なる輝きを宿した幼いフィモシーは、未来の自分と出会い、楽園の言葉を聞く。
 これこそが、成長し、大人になって輝きを失ったフィモシー自身の未来の姿なのだ。
 当然、「第二部」はフィモシーの成長の物語となる。
 当初の構想においても、改めて構成を見直し完成へと至った「第二部」においても、物語は此処に繋がる。困難に挫けかけた未来のフィモシーが過去のフィモシーと出会い、かつて自分が持っていた無垢なる太陽の輝きに照らされる事で、再び立ち上がる。
 この場面に繋がれば、その間のストーリーでは何が起こっても良い訳だ。
 「第二部」の導入は月の国編とし、真昼の国の尊い日々と「第一部」のおさらい、シェイダの三人の兄と月の女神、そしてヴィルヘムの旅を一気に描いてしまう事と決めた。
 方針が決まるともう悩む事は無い。「第一部」のあとがきでも書いた様に、「第二部」のシナリオは二週間ほどで書きあがってしまった。


 「第二部」は大きく月の国編、放浪編、ジュリオ編と言う様に分けられる。ボリュームは「第一部」の倍どころではない超大作となった。
 月の国編を書くにあたって悩ましかったのはシェイダの三人の兄である。同じ立ち位置のキャラクターが三人もいては多すぎる。物語を描くならば兄と弟二人居れば十分だ。では多すぎるキャラクターをどう使うか。一人ずつ退場させていけば良い。という事で月の国編は新たに登場する月の女神・ディエナをキーとしてあの様な形となった訳だ。
 ディエナは前作「リズベルルの魔」では故人だった人物である。エルデイルを姉と呼ぶ事から、どうやら「黄昏の君」のディエナは代替わりする事なく遥か昔から生き続けている様だ。二つの作品の関係性を語る上で浮上する疑問に「一体どの時点で分岐したのか」と言うものがある。「リズベルル」のみで考えるのなら恐らく「1」の途中では無いか、との推測が成り立つが、今回「第二部」で新たにディエナが登場した事から、二つの世界は大きく異なる歴史を歩んでいる事が判る。
 そうした理由は何故かと言えば、本作の「敵」に関係する。「リズベルル」では仄めかしに止めてあった人物に改めて焦点を当てるにあたり、その存在を元の存在とは大きく乖離させる必要があったからだ。
 幸福に満ち溢れたフィモシーの尊い世界を描く月の国編は、その「敵」の存在によって急転直下の結末を迎える。フィモシーは内に宿した尊い輝き、純真なる心を失い、続く「放浪編」で辛い現実に行く手を阻まれる事となる。ここからフィモシーの成長は始まる。
 「第一部」は全てがフィモシーを中心に上手くゆく都合の良い物語だった。しかしその都合の良さの影には常に「いつまでもこの少女時代は続かない。この都合の良さは何れは失われる幼さ故の特権なのだ」と言う現実が潜んでいた。身分も宝物も全て失い、名も無き砂漠に放り出されたフィモシーはいよいよ生身で世界と向き合う事となるのである。
 放浪編に登場するキャラクターの殆どは、フィモシーに傷を残し、通り過ぎていく存在だ。これは全てのキャラクターが世界に肯定され、最終的に同じ想いのもと手を取り合い、結束する「リズベルルの魔」とは異なる構造である。
 砂漠に行き倒れていたフィモシーを救い、生きる術を教え、最後には売り払った双子達。
 幼い少女達を買い集め、満たされた生活と学ぶ機会を与えたデルボス。
 フィモシーにとっては大きな心の傷となった彼らだが、彼らがいなければフィモシーは物語の途中で命を落としていたに違いない。彼らは決して生まれついての悪人では無い。だから彼らは罰を受ける事も無く、ただフィモシーの前から去ってゆく。
 フィモシーは全ての人と判り合いたいと願う。
 けれど人は判り合えない。
 それが現実である。
 一度は、ほんの少しの瞬間だけ……あの子達を友達だって思った。
 あの瞬間は嘘では無かった。
 双子達と思いがけぬ再会を果たしたあと、フィモシーがこぼすこの言葉に、放浪編の核心が込められている。


 フィモシーの過酷な旅の裏で描かれるのがヴィルヘムとエレシーのドラマだ。
 エレシーは「第一部」では殆ど出番が無く、しかしビジュアルではイベントCGが何枚か挿入され、存在感を放っていたキャラクターである。
 幼くして王に嫁ぎ子を産んだエレシーは母でありながら何処か少女めいたあどけなさを残し、「第二部」においては囚われのヒロインと言ったポジションに収まる。
 中盤以降の真昼の国ではそうした状況の中、ヴィルヘムとエレシーの関係、歩み寄りが面白味の一つだ。
 ここに「第二部」より新たに登場するメルルーシェ……フィモシーの純真なる心を移植され、魂の器として生かされる哀れな少女を加えてある謎に焦点が当たる。
 すなわちヴィルヘムの体を乗っ取った闇の正体は誰なのか。そして彼が異界から招き、メルルーシェの体を使って蘇らせようとしている恋人とは誰なのか、と言う謎である。
 全ては「第二部」の終盤、ジュリオ編にて明かされる。



 ジュリオ編では物語冒頭で登場した謎の青年ジュリオとフィモシーがようやく出会う。
 このジュリオと言うキャラクターはフィモシーの恋人でありながら本格的に登場するのは物語の後編である。普通であれば、ぽっと出のキャラクターが急にストーリーの中心に現れるから面食らう所だが、実は「第一部」で描かれたエピソードから「第二部」前半の流れを踏まえ、満を持して登場した存在であると、彼の正体と共に明かされる。
 物語も終盤となり、過去のエピソードや伏線が収束する為、構成もキャラクターも論理的に筋が立ったものとなって当然だが、ジュリオはその象徴となった。
 ジュリオの存在に勇気づけられたフィモシーは敵の放った刺客や困難を乗り越え、頼もしい仲間達と再会し、いよいよ物語の肝となるあのシーンに辿り着く。
 「第一部」とは視点が変わり、純粋な輝きを持った「過去の自分」と向き合うあのシーンだ。
 このシーンを改めて描く事で、「第一部」はどういったテーマの作品だったのかという事を読者は改めて知る事になる。作者としては、「第一部」のみで気づいて欲しい作品のテーマだが、全ての読者が物語の構造を理解できる訳では無い。読者の興味はキャラクターに注がれるもので、作品のテーマやロジックなどどうでも良いのだ。
 だからこそ「第二部」では改めて作品の肝となるこの場面を印象深く描くのである。この場面こそが「黄昏の君」のクライマックスで、残る決戦は長いエピローグの様なものだ。



 そうしていよいよ、「敵」の正体が明らかとなる。
 ここで前作「リズベルルの魔」をおさらいしたい。
 「リズベルルの魔」において舞台となるエンダージェン国は常に黒海の脅威に晒されていた。物語を通じて、黒海と言うのはエンダージェン国の異なる可能性であると明かされる。可能性に満ち溢れた光のエンダージェン国に対し、滅び去り虚無へと還った闇のエンダージェン国は、未来と言う時間的な資源を求め侵攻を開始する。これが「リズベルルの魔」の闘いの構図である。
 「1」の終盤ではノルアードが水門から現れた鏡面世界の自分と相対し、これを撃退する。
 愛する街を守るための戦い。
 しかしこの方法は誤りであった。
 「7」において、弦奏鎧ヴィルフォーナを纏ったジンは、数多のデュオン(これには読者も含まれる)の協力を得て鏡面世界の自分と向き合い、その存在を「認める」のだ。
 黒海も魔も同じ存在の異なる側面=デュオンであると気づき、虚無へと落ちた己を光の国に招く事こそが、真に戦いを終わらせる唯一の手段なのである。
 差し出された手を前に、虚無側のジンもまた、己の異なる可能性について正しくその存在を認め、受け入れる。物語の初め、アオゾラは魔を招くには契約に基づきお互いがその事を承知しなければならないと語るが、これが実は戦いの解決方法を暗示していた訳だ。
 かくして「リズベルルの魔」の物語は幕を閉じる。
 「黄昏の君」はそんな「伝説」を経たエンダージェン国の未来。
 「闇の」エンダージェン国が救世の騎士・黄昏の君の活躍と、長い年月をかけて蘇り、再びデュオンを取り戻しつつある時代の物語である。


 「第二部」の黒幕にして「敵」の正体。
 それはかつてヴィルヘムがフィモシーに語って聞かせた悲劇の恋に嘆く伝説上の人物である。
 ヴィルヘムが語る物語や伝説が、フィモシーの前で息を吹き返し、蘇る事が、本作品における「ほんとうの物語」の意味であるとは「第一部」のあとがきでも記した。
 「第二部」の「敵」の正体もこれを汲んでいる。

 しかしヴィルヘムの語る悠久の過去の「伝説」を、読者は更に詳細な形で知っている。
 「リズベルルの魔」の物語こそが、その「伝説」に他ならない。
 ヴィルヘムの中に巣食う闇の正体は、かつて世界を滅びに導いた剣の主。
 剣主ノルアードであった。
 「リズベルルの魔 シェラダン篇」において光のノルアードに否定された、闇のノルアードこそがその正体であったのだ。
 そして彼が蘇らせようとしている存在こそ、遥か過去に死した愛する人。闇のエンダージェン国を生き、戦いの中で命を落としたもう一人のリズベルルである。
 「リズベルルの魔」においても仄めかされていた彼の「動機」がここで改めて明かされる事となった。
 悠久の過去、今では伝説となった果てしなき時の彼方から蘇ったノルアードは、再び門を潜って楽園=光のエンダージェン国を目指す。
 しかしそこに居るのは、ノルアードの愛した彼女では無い。
 別な可能性世界、異なる人生を生きたもう一人のリズベルルである。
 ノルアードの願いは初めから叶わない夢である。
 それでも彼は求めずにはいられないのだ。
 最早狂人と化したノルアードを前に、フィモシーは今一度黄昏の君の召喚を果たす。
 世が闇に覆われし時、救世の騎士、深き眠りより目覚める。
 黄昏の君の伝説は、ほんとうの物語となった。

「黄昏の君」の世界は、失われた尊い心の力「デュオン」が滅びを経て蘇りつつある時代である。
 デュオンで溢れた「リズベルルの魔」とは異なり、虚無との戦いを前に、読者は物語の中で生きる人々の力となる事は叶わない。
 人は判り合えない。
 それが「黄昏の君」の現実だ。
 けれど、フィモシーは信じている。尊い輝きが世に満ちて、いつか砂漠に緑が溢れる事を。
 フィモシーの人生は全て大いなる試練だった。その旅で出会った人々は、太陽の輝きのもとに集い、黄昏の君となった王女と共に虚無の軍勢に立ち向かう。
 人も、女神も、獣も共になり、デュオンを奏でる。
 全ての希望が潰えようとした時、フィモシーは遂に救世の騎士・黄昏の君の声を聞く。
 かつては無残な骸としてあったその人は、デュオンを取り戻した姿でフィモシーの前に現れて楽園の言葉を囁く。
 伝説の戦いで光のヴィルフォーナに敗れ、粉々に砕けた筈の剣は、今度こそ世界を救う時の為に更なる強さを得て蘇っていたのだ。
 フィモシーはデュオンの刃で虚無を断つ。今では語られざる伝説の片鱗、トゥールウ神竜の力の一端をもその刃は薙ぎ払う。
 フィモシーの戦いは終わり、過去の亡霊達、デュオンの残響は安らかな眠りに付いた。
 この物語は「リズベルルの魔」で救われなかったもう一人のノルアードを救済するものでもあったのだ。
 その一方で、ヴィルヘムとエレシーのドラマも、フォルストーを介して決着する。
 かつては伸ばせなかった手を伸ばし、愛する人を受け止める。母と子の物語と違い、父と子の物語に言葉は少なくて良い。ヴィルヘムとフォルストーの関係はこの場面で全て語り尽した。
 物語はフィモシーとジュリオが愛を語り合う場面で幕を閉じる。
 初めて想いを告げ合った時には判らなかった、人を愛すると言う事の意味をお互いが理解して言葉にする事で、この物語が成長の物語であった事が示される。
 「第二部」はこうして、「第一部」からのドラマを総括する形で幕を下ろしたのである。



 「黄昏の君」はシリーズ中でも特にグラフィック面が豪華な作品でもある。
 今回も立ち絵、イベントCG、ムービーと膨大な数を収録している。
 また、ラスボスである弦奏鎧シェルヴァランスをはじめ、トルフ級弦奏鎧や光魔のしるべ、封印球、サニドの銀鍵など、関連作品とリンクする形でメカやアイテムなどを過去のシリーズから再登場させている事も特徴の一つだ。
 勿論これも作品をコンパクトに製作する為のアイディアである。
 新規デザインが少なくて楽な分、背景モデルに時間を割いた。また軍団vs軍団の戦闘シーンなどはこれまでよりも密度の高い構図で作り込む事も出来た。最終決戦などは三軍入り乱れての戦闘を100枚以上の一枚絵で演出する豪華内容となっている。随分頑張ったので正直な所暫くロボットものはやりたくない。本作品の最後に挿入される予告編はご覧いただけただろうか。次回作はなんと怪獣ものである。これまでとは雰囲気を一新した和風のファンタジー。タイトルからぴんと来た方もいるかもしれないが「夢十夜」を引用したこれまで以上に読み応えのある作品となっているから期待していただきたい。



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