「ツチノコ探検隊〜みゅうがいた夏〜」のあとがき
:2016/11/19
ときてっと
 
 シリーズを解説・振り返りするこのあとがきコーナーも3回目。
 今回は「ツチノコ探検隊〜みゅうがいた夏〜」のあとがきである。
 全2回と同様、このあとがきではネタバレを扱うので本編読了後に目を通してもらえれば幸いだ。

 本作「ツチノコ探検隊」は「リズベルル」シリーズや「黄昏の君〜」とは少し趣を異にする現代もの、少年少女のひと夏の不思議との出会いを描いた一篇だ。
 「グラフィックとムービーで彩るジュブナイルノベル」としているが、児童文学と言った方が正しいかもしれない。
 小学六年生の、特別な、最後の夏休み。不思議な出会いが出会いを呼び、やがて街に起こる小さな事件は、もしかしたら全世界を揺るがす程の危機へと変わる。
 主人公であるセイ達は小学生らしい子供のロジックでこの事件に立ち向かい、見事解決するが、その先に待っていたのは永遠の別れ。そして時空を超えた友情の約束であった。
 本作は主に子供達の視点、世界観で展開されるが、同時にそれは大人から見たノスタルジーでもある。
 ストーリー終盤では子供達なりの不安や勇気、友情の在り方が語られる一方で、子供達と近しい距離にいる大人キャラクターの存在が、物語に程良い奥行きを与えてくれた筈だ。
 また、マスコットキャラクターのダンテスは中盤からの登場でありながら、子供達と共に成長し、同時に彼らを助ける頼もしいメカとして存在感を発揮する。
 本作のイベントCGや挿入ムービーの殆どは彼のものなので、ダンテスこそこの作品の顔と言っても良いだろう。
 本作のキャッチコピーの一つに「僕らの、最後の、ほんとうの夏」(紹介ページバナー・Kindle版目次)というものがあるが、「ほんとうの物語シリーズ」的「ほんとう」の意味は前作を経てやや形骸化しつつある。
 最初に描いていた「ほんとう」は「リズベルル7」で使い切ったので、本作ではもう少し素直な意味合いだ。
 物語の中でセイはツムギへの気持ちを自覚し、カイチは友情と恋愛の狭間にある心に折り合いを付ける。みゅうは友情は永遠であると言うが、未来の事は誰にもわからない。
 セイが抱く不安の通り、進学した彼らはすっかり絆を忘れて付き合いを失うかもしれない。あんなにセイを慕っていたツムギだって他の男子に目移りするかもしれないし、あるいは女の子同士の友達付き合いに夢中で子供っぽい男子なんて目に入らなくなるかもしれない。あの夏の出来事は蜃気楼の様なもので、しかし確かにあった出来事だ。
 何れ彼らも、あの出来事を、あの頃の関係を思い出のものとして懐かしむ時が来るだろう。
 その時はきっと、屈託無く笑い合い、落ち着いた関係で向き合っている筈だ。
 シズマが幼馴染との関係を子供達に語って見せたのと同じ様に……今度は彼らが子供達を見守る立場になるのかもしれない。
 蜃気楼の夏に誓った友情は、やはり永遠の、ほんとうのもの。
 本作における「ほんとう」の意味は、何れ来るだろうそんな未来にある。

 本作品は独立した物語であると同時に、「ほんとうの物語シリーズ」の一篇でもある。
 という事で、特にシリーズ作品「リズベルルの魔」とは密接な関係にあり、一部キャラクターや設定を共有している。
 此処からはそれらについて触れる為、「ツチノコ探検隊」に加えて「リズベルルの魔」シリーズ、そして関連作品「黄昏の君〜」を読み終えてから覗いて欲しい。
 (とは言え、このシリーズも長くなってきた。ネタバレ上等であとがきから読んで、関連作品に興味を持つのも大いにアリだ)

 中盤から登場し、子供達を見守る大人キャラクターであるシズマは、「リズベルルの魔」から再登場したキャラクターだ。
 尤も、彼は「リズベルルの魔」に登場したシズマと完全な同一人物では無い。
 本作でも語られた様に「ほんとうの物語シリーズ」には複数の時間軸、平たく言えばパラレルワールドが存在する。
 「リズベルルの魔1」において、主人公であるジンはシズマとの決闘の末、時空を超えて過去の幼馴染・コトネの死を回避するが、これはジンの主観的な現在を書き換える結果にはならなかった。
 つまりジンは、「幼馴染が死ぬ過去」を変えたのでは無く、新たに「幼馴染が死なない可能性世界」を観測した訳である。
 この世界においては、コトネが死亡しない為にジンとシズマがエンダージェン国に招かれる理由が無い。要するに「ツチノコ探検隊」はその“招かれない”世界の延長にあるお話であり、本作のシズマは“招かれなかった場合のシズマ”、という事になる。
 本作と同じ時間軸に属する物語は「永遠のメルディラージェ」があり、こちらのおまけシナリオには招かれなかった場合のジンと、死ななかった場合のコトネが登場している。
 ヒロインの一人であるみゅう(みゅぅめぇるぅ)は「リズベルル」や「黄昏の君〜」では機械妖精ミューメルとして登場している。
 ミューメルは読者である「あなた」をサポートするキャラクターで、シリーズの基本操作説明は彼女の仕事だ(本作では本編にみゅうが登場する関係で、その仕事はミルゥが代行している)。
 ミューメルは「リズベルル」の劇中にも度々登場するキャラクターだが、実は物語上での役割は薄い。
 彼女の正体は何であるのか? どうしてほんとうの図書館に居るのか? 詳しくは語られないままだ。
 本作では物語に関わる重要なキャラクターとして登場したみゅうだが、その正体は……やっぱり良く判らない。むしろ謎が深まってしまった。
 今後ミューメルの謎が解き明かされる時は来るのだろうか……? シリーズ最大の謎、ふしぎの一つである。
 そして本作のマスコット、ダンテスもまた「リズベルル」と関連がある。
 本作のラストでみゅうがダンテスに伝えた情報は、エピローグで語られた通り後に「超空間跳躍」として確立し、「リズベルル」や「黄昏の君〜」に登場する太陽の船ソルエルデイルを初めとする超空間跳躍船の建造に繋がる。
 「リズベルル」においてはエンダージェン国の防衛機構として組み込まれていたメテオール。太陽、月、冥王星(ユゴス)等の名を冠したメカ群の総称が何故メテオールなのかと言えば、超空間跳躍船の一番艦が流星号であったからだ。
 この流星号とソルエルデイルに、まだ見ぬ5隻の超空間跳躍船を加えたシリーズが、「リズベルル」でエルデイルがエコーデュオン艦隊に向けて名乗った「オリジナルセブン」となる。
 エンディング後にギャラリーに追加されるおまけグラフィックでは、流星号の制御人格として情報生命体が組み込まれたとあるが、これがダンテスであったかどうかは定かでは無い。
 一番艦のソルエルデイルを初め、「リズベルル」に登場するメテオールにはミディオムと称される制御人格が設定されているが、彼女達は情報生命体の進化の到達点の一つであり、時空を超える術を持つみゅうを人工的に再現した存在なのかもしれない。
 本作において<キャッツ>が研究する空間拡張技術は「リズベルル」においては封印術と呼ばれたものだ。
 また、ラストで活躍するハーツ・ヴィルフォーナのネーミングは情報生命体の間で「超格好良い伝説的名前」として共有され、「リズベルル」の主役メカ、弦奏鎧ヴィルフォーナのルーツとなった。
 情報生命体としてのダンテスは、更にエンダージェンの中枢システムにも関連している。
 「ダンテス」、「エデ」と言うネーミングは「モンテ・クリスト伯」から取ったものだが、「リズベルル7」のプロローグにおいても「モンテ・クリスト伯」からの引用があり、これを口にするのが謎の猫ちゃん(アオゾラ?)なのだ。「リズベルル」では重要な役割を果たすお喋り猫、アオゾラ。そもそもなぜ、猫なのか。エンダージェンの建造に謎の秘密結社<キャッツ>が関わっているからこその猫ちゃんなのかもしれない。アオゾラのルーツもまたダンテスと言う訳である。
 そしてこの時謎の猫ちゃんに語り掛けられる者こそが、「黄昏の君〜」と同じ時間軸に属する、「招かれたが、世界を救う事が出来なかったシズマ」である可能性が、「リズベルル7」のおまけシナリオ「超リズベルルの魔」では仄めかされる。
 本作「ツチノコ探検隊〜みゅうがいた夏〜」は、子供達と、みゅうとの時空を超えた友情の物語である。
 そして同時に、本作で育まれた友情は、超時空を超えて「リズベルル」の世界に届くのだ。
 本作におけるシズマは子供達と、みゅうと出会い、この出会いはダンテスを成長させ、ヴィルフォーナの名前を生み出し、更に超空間跳躍や封印術へと繋がる。
 これらは時空を超えた先に居るもう一人のシズマと、その親友であるジン達を助ける事になる訳だ。
 本作をただのひと夏の物語と思うなかれ。
 実は超壮大な物語なのである。


 さて、そんな超壮大な本作であるが、製作期間は短かった。
 「黄昏の君〜」公開からひと月程でほぼ全ての工程が完了しており、イベントCGの枚数はシリーズの中でも少なめである。
 本作はシリアルコード形式での頒布を想定しており、ファイル容量を1ギガバイト以下に抑える事が目標の一つだった。
 ムービーシーンが多い本シリーズはどうしても容量が大きくなりがちなので、本作もギリギリの設計である。
 実は構想段階ではもう少し映像面で豪華なシーンを用意しようと考えていた。
 一つはオープニングムービー。本編とは全く関係ない、番外編的な映像。<キャッツ>の機動兵器・ハーツ群が、謎の巨大怪獣=敵性異存在と戦うシーン。
 もう一つは、物語後半。ハーツ・ヴィルフォーナの活躍シーン。舞台となる街を3DCGで起こし、ヴィルフォーナの活躍を縦横無尽に描く、という案。
 この二つのシーンを制作すれば確実に容量オーバー、そして恐らく2016年中の公開は厳しいだろう……前作「黄昏の君〜」にはかなり工数をかけてしまったので、「ツチノコ探検隊」が完成しないとなると、2016年の公開作品が1作品のみになってしまう……それは何だか寂しい……という事で、この重い作業はカット。結果としてかなり余裕をもって完成に至り、本作は2016年11月に無事ダウンロード版が公開となった訳だ(シリアルコードでの頒布はC91・12月末を予定しており、規模的にはこちらが本公開と言ったところだろう)。
 仮に本作と同じ時間軸の物語を作るとしたら、ハーツ・ヴィルフォーナの登場はあり得る。カットした要素を今後活かす事もあるかもしれない。
 余談だが、本編で子供達の危機に駆けつけたハーツ・ヴィルフォーナには武装が一切付いていない。個人的にロボットもの=バトルものと言う構図は基本的には避けていて、例えば「リズベルル」等は戦闘描写もあるにはあるが、弦奏鎧の海を断つ、という役割は災害対策であるし、剣を用いると言うスタイルも儀式めいたものとして描いている。
 弦奏鎧ヴィルフォーナは「1」で街の英雄になり、「2」以降は平和の象徴として存在し、本格的に戦闘をするのは「7」。街の英雄が平和を経て救世の英雄として立つ……と言う事を描いており、実は戦わない期間の方が長い。黒海相手には一撃必殺のシーンも多いから作品としてはバトルものとは言い難いだろう。
 それで言えば「永遠のメルディラージェ」はバトルもの的側面も目立つが、作品自体が内面的なものであるのと、やはり儀式的な意味合いが強い事がある種の抵抗だ。
 「黄昏の君〜」の鎧奏騎は戦闘用ロボットではあるが、本編中ではラストに決闘シーンがあるのみで、作品自体はバトルものでは無く、主役メカの活躍は戦闘よりもむしろその後の飛翔シーンの方が印象的だろう。
 そう言う訳で本作はいよいよ巨大ロボットは登場するが、戦闘シーンが存在しない作品である(正確に言えばゲーム内の“バトル”があるにはある)
 設定上は、ハーツは状況に応じてサポートユニットと合体する汎用メカであり、劇中でハーツ・ヴィルフォーナが丸腰な理由もこれだ。
 本来は本体と別にバトルユニットが射出され、出撃前に合体するのだが、劇中ではダンテスの独断・命令無視による発進だった為に、重火器やミサイルの一本も積まずに飛んできたと言う訳である。
 単純な盛り上がりとしてはミサイルの一本でもぶち込んで爆発させておいた方が派手だし、作るのも楽だ。構想段階では見せ場の一つとして盛り込むことも考えたが、いざシナリオを書いてみれば作品を損ねかねないという事ですっかり削ってしまった。
 削ったと言えば作品の時代設定。
 当初はある程度設定しようと考えていたが、最終的には言及しない形となっている。
 と言うのも、本作に登場する子供達は何だか聡い、大人びた風な事を言う子供達なので、パソコンやスマホ、タブレット端末の一つでも使いこなすだろうと構想段階では考えていたのだ。それで、読書感想文には青空文庫の名作文学なんかをダウンロードして読み耽り、考察しあうなんてシーンを作ってはどうかと考えていたが、いざ書きはじめてみれば、ダンテスをはじめとする超技術の結晶が出て来る以上普通の電子機器・端末は不要に思え、最終的にはゲーム機器の登場程度に止まった。


 話が逸れたが……色々と削った事で時間が空いたために豪華にできたものもある。
 「黄昏の君〜」第2部予告編だ。
 鎧奏騎の群衆シーンを多く含む予告編、新キャラクターや、過去作の面影を持つキャラクター。更にヒロイン兼主人公であるフィモシーの前作エンディングからは考えられない状況など、なかなか見所が多い予告編になったと思う。
 次回作「黄昏の君 ヴォルフィーネ 第2部〜王女と女神と闇の竜〜」は超大作だ。
 「〜真昼の国と月の国〜」は作品としての完成度を高める為に旨味は抑え気味な、素朴で奥床しい作品であった。フィモシーを待ち受ける色褪せた未来の暗示が、翻って作品のテーマを際立たせる構造である。
 第2部ではこの未来を劇的に、ドラマティックに描いてしまう。
 仄めかしであるからこそ美しかった部分を実際に描いてしまったら、奥床しさは失われてしまうだろう。なので「黄昏の君〜」は「2」では無く「第2部」。
 連続した作品ではあるものの、コンセプト等は前作とは少々異なる感触になるだろう。
 そんな「黄昏の君〜第2部」は2017年公開予定。
 本作「ツチノコ探検隊」のラストにもあるように、「ほんとうの物語シリーズ」を続々展開していきたい気持ちでいるので、是非お付き合い願いたい。
 

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