■「リズベルルの魔」シリーズ 1〜7のあとがき

:2015/12/06
ときてっと

□はじめに

 このテキストは「リズベルルの魔1〜7」のあとがきである。
 作品内に収録しなかった理由は、物語とこのあとがきとは分けて考えて欲しいからである。
 物語は物語の中だけで完結しており、全て作品内で語り終えたつもりなので、このあとがきは、物語に何ら影響しない、別々のものとして読んでもらえれば幸いである。
 よって、このあとがきは「リズベルルの魔」シリーズを1〜7まで読み終えてから目を通して欲しい。
 ネタバレ全開であるし、知らなくて良い事を知ってしまう可能性があるからだ。
 また、このあとがきに書かれる事はあくまで作者の見解であって、読者の物語への解釈がこれと異なるからと言って、それを誤りだとするつもりは無い。


□リズベルルの魔のもと

 「リズベルルの魔」は、2009年に公開した「深想響界エコーデュオン」が原型となり誕生した作品である。
 「エコーデュオン」は、それまで年に1〜2本、キャラクター・メカの設定画やイラストの付随する小説を制作する事をライフワークとしていた私が、新しく3DCGに手を出し始めた時期に作った作品だった。
 人嫌いの戦争屋・ジェイが、砂漠で妖精の化石と共に出会った少女・エコーとともに、不思議な力を秘めた変形ロボットで世界を旅する……。
 この物語は、13本のシナリオ集に、3DCGアニメーションによるイメージPVが付随するものだった。
 かけがえの無いものを失い、世界から拒絶され、また何ものもを拒絶するジェイが、エコーと旅をするうちに世界から肯定されてゆくが、実は……と言うストーリーで、一部の設定やヒロインのエコーは「リズベルル」に収録した短編「深想響界」に圧縮する形で再登場している。
 また、主役・ライバルの変形ロボットはドルフィン、ネクロマキナとして、大型戦艦アイネイアスはソルエルデイルとして設定を変え、「リズベルル」に再登場する事となった。
 制作当初は3DCGに表現の可能性を感じていたものだが、いざ映像を作り始めるとこれがとにかく時間がかかる。
 キャラクター、メカ、背景に至るまで全てを一人で制作するのは困難だとすぐに気付き、長編アニメーションの予定はイメージPVと言う形に落ち着いた(このPVの一部は「リズベルルの魔1+2」のおまけとして見る事が出来る)
 それに伴い、書き始めていたシナリオは後半になるにつれ、映像での表現を断念した為に小説の様な文体となり、全体として散漫な出来であった。
 一応の完成を見た「エコーデュオン」であったが、やはりしっかりと作品として過不足無いものにしたいと言う気持ちはしこりの様に残り、これが「リズベルルの魔」の制作に繋がった訳である。
 「リズベルルの魔」の発表は2011年、主役ロボットとなる弦奏鎧ヴィルフォーナのイラストが最初だった。
 このイラストを公開した時点で、小説の方も半ば書きあがっていた筈だ。
 第一章「海を断つヴィルフォーナ」は同年5月、第二章「天舞う音色ヴィルフォーナ」は7月、第三章「時を断つ、ヴィルフォーナ」は9月と、章ごとに連載の様な形でWebサイトに掲載した。
 然程人が来ない個人HPにひっそりと掲載した小説である。この時点で読んでいた人間が居たのかどうか定かでない。
 いや、恐らく居なかっただろう……しかし私にとってそれは問題では無かった。
 物語は己の内側から発露するものである。
 読み手が居ようが居まいが、私は私の為に書いている……書かずに居られないのだからそれで良いのだ(余談だが、第一章の掲載前に例の震災があった。「リズベルル」は黒海が街を飲み込もうとする話なので、少し考える所もあったが、上記の様な理由もあり結局手直しはしなかった。もしかしたら震災による津波等が発想の元だったのではと思われた方も居たかもしれないが、そう言う訳では無い)


□リズベルルの魔ができるまで

 「リズベルルの魔」は物語の中の存在すべてに意味があり、過不足の無い物語である事を心がけた。
 そして、地味だ。口に含めば必ず美味しいと感じてしまう化学調味料的なエッセンスはほどほどに抑え、完成度と本来の面白みを重視した作品だった。
 成り立ちが小説なので、私はこのシリーズ(続編も含めて)に関しては特に“ゲームシナリオ”と言う意識で書いてはいない。文章だけ切り出しても作品として成立するものとして書いている。
 この小説をシナリオとして、ノベルゲーム化しようと思ったのは気まぐれである。
 元々は4月1日のエイプリルフールの冗談ゲームとして、第一章のみをゲーム化しようと考えていたのだが、制作を始めるとこれが思いの外簡単で、4月1日までに全ての章がゲーム化出来ていたと言うだけの話だ。
 元の小説の出来には自信があったので、特に加筆修正はせず、“ゲーム”と言う体裁を整える為に1か所だけ選択肢による分岐を設けたシナリオ「ほんとうの図書館」篇と、おまけ短編として上述の「深想響界」を追加する事となったが、どちらも1日で書き上げたシナリオである。ゲーム化に際して尤も時間がかかったのは膨大なグラフィックと挿入するムービーの作成であった……あの時は「もう二度とこんな事はすまい」と思ったものだが……。
 こうして2012年4月1日(厳密にいえばその数十日前)にノベルゲーム版「リズベルルの魔」は公開され、「ほんとうの物語シリーズ」が始まったのである。
 このノベルゲーム版はWeb掲載の小説版よりは多くの人に読まれ、2013年の4月には嬉しい事に「ふりーむ!ゲームコンテスト」で最優秀賞を頂いた。
 ちなみに賞品はゲーム機とうまい棒一年ぶんである。フリーゲーム賞の賞品はこの程度が面白くて丁度良い。
 さて、このノベルゲーム版の時点では、私は「リズベルル」は過不足の無い作品であると思っていたので、続編を作る気はさらさら無く、さっさと次の作品「永遠のメルディラージェ」の制作に取り掛かっていた。
 「メルディラージェ」は「リズベルル」の影である。
 世界観の暗部を描く物語は、詩的で、内面的で、不思議の詰まった作品だ。
 ある一つの学園が舞台となっている。この学園とは、外とは隔絶された世界だ。
 そこへ、主人公であるルナが世界の外からやってくる。
 ルナは世界の事を何も知らない。学園にはある大きな謎がある。それなのに、そこで出会う人々はその謎を当たり前の様に認識しており、それを知っている前提でルナと接する。
 謎めいた言葉に、ルナと読者は翻弄される。この物語は永遠の物語だ。輪の様な、ループするストーリー。
 厳密にいえば、物語には前後があり、ループしている訳では無い。しかし、主人公であるルナと、ヒロインであるディラの魂は輪廻の中できっと同じ様な運命を繰り返しているのでは無いか……。
 やがて物語を終え、真相を知った時、変革は読者の側に訪れる。
 学園の謎を知る事で、読者は転校生から、生徒の側に立つ事となる訳だ。
 すると、内に向いた物語の別な側面が見えてくる。
 私はこの物語を、「繰り返し読んで欲しい」と何処かで書いた。
 それはこの変革を味わって欲しかったからだ。
 一度プレイし終えた後、また初めから「永遠のメルディラージェ」を読み始めると、物語の冒頭は閉じられた世界の外側の、未来の話である事が判る。
 もう一度読めば、学園の生徒たちの謎めいた台詞の数々が、実は多くの真実を語っている事に気付ける筈だ。
 一度目に読んだ時は、学園と生徒達に翻弄されるのはルナと読者の二人だったが、二回目に読む時、読者は生徒達と謎を共有しているので、翻弄されるのはルナ一人だけになる、と言う訳である。
 読者は気付く事が出来る。しかしルナは気付けない。記憶を巻き戻され、永遠に転生の輪に閉じ込められる……。唯一その輪からルナを救い出そうとするハルカの行動は、無意味に終わる。
 この構造をもって、私は輪廻の様な、繰り返す、永遠の構造を表現したつもりだった。
 多くの人は、これを単なる学園ロボットもののゲームとして(そりゃ、ゲームなんだから当然であるが……)、“繰り返しても変化しないゲームなので、何度もやる理由が無い”と受け取った様だ。
 確かにその通りなのだが、私が作った物語は「ゲームの内容が変化する」のではなく、「読者の意識が変化する」ものだったので、少々残念に思ったのだが、作者は読者に文句を言えないので、仕方が無い……。
 それならば、と思って「リズベルルの魔7」に再録した「永遠のメルディラージェ」の+バージョンでは、冒頭の未来の描写は2週目で初めて読める仕様に変更した。
 これでは「ゲームの内容が変化する」普通の作品になってしまうのでは、と散々迷ったが、相変わらず学園は謎めいた存在のままなので、一応私の想定したコンセプトは成立していると思う。
 こうして物語のギミックとしては上手くいかなかった「メルディラージェ」であるが、勿論はじめから、恐らくこれを“判る”人はごくごく少数であろうと思ってはいた。
 ただ、「リズベルル1」は万人受けする物語であろうと思っていたので、続けて似た様なものを作る事もあるまいと気にしなかった訳だ。
 話を「リズベルル」に戻そう。私の内側から物語が発露して来たのは、「メルディラージェ」の制作途中であった。
 「メルディラージェ」と「リズベルル」は同じ世界観の物語だ。
 しかし、エコーデュオンとエンダージェン国としてそれぞれ独立し、分断された世界でもある。
 もし、この境界を越えて、登場人物が世界を跨ぐ事が出来たら……。
 リズベルルが「メルディラージェ」にも登場して、さらに「メルディラージェ」の物語の続きが、ひとつ前の作品である「リズベルル」に隠されていたとしたら……。
 そうしたアイディアから生まれたのが「リズベルルの魔 セリオラ篇」だ。
 「永遠のメルディラージェ」が2013年9月公開、メルディラージェをクリアする事で得られるパスワードを「リズベルルの魔ver1.5」に入力する事で隠しシナリオ「セリオラ篇」を読む事が出来る、と言う仕組みだったが、「リズベルル」を密かに「ver1.5」にアップデートしたのは2013年7月の事であり、数カ月の間このシナリオは解放する手段の無いまま封印されていた事になる。
 「セリオラ篇」はこの時点で、「リズベルルの魔」の最も未来の物語であった。
 一度閉じた物語をもう一度開いて良いのか……これに関してはかなり悩んだ。
 「リズベルルの魔」は過不足の無い物語である。
 「1」で完結していたのだ。
 しかし、過不足の無い作品とする為にカットした魅力的な要素もあった。
 そしてそれは、舞台設定として物語上に違和感の無い形で残ってもいたのである。
 もし、「リズベルル」の物語をもう一度開くのなら……。
 「1」では出来なかったもっと大きな、より広い物語にしなければならない……。
 そう考えた時には、既に私は決意していた。
 「リズベルル」は「7」だ。「7」で完結としよう、と。
 こうして「リズベルル」はシリーズ化する事となり、「1」にグラフィックを追加し、続編である「2」を加えた新バージョン「リズベルルの魔1+2」が公開となったのが2014年3月の事であった。
 この時点ではまだ途中で制作打ち切りも視野に入れていたが、2015年1月に「リズベルルの魔3+4」を公開した事でシリーズ化は確定的なものとなる。
 実は「3+4」を公開した時点で次回作「リズベルルの魔5+6」もほぼ形になっていた。
 この「5+6」はほんの少しの間手元で眠らせた後、2015年7月に公開、先行して作っていた時間を利用し、前2作の倍程の時間をかけて作った最終章「リズベルルの魔7」は2015年11月に公開し、これにて「リズベルル」シリーズの本編は完結となった。
 2015年は私にとって幸福な年であった。
 己が内から物語が色鮮やかに溢れ、書いても書いても止まらないのだ。
 「リズベルルの魔7」を公開した時点で、次回作のシナリオと、その次に制作する予定の「リズベルルの魔」番外編のシナリオも完成していたくらいだから、この年は筆が進んだのだどころでは無い。
 膨大な量のグラフィックも制作した。どれだけ作ったのか自分でも把握していない。ムービーも同じだ。
 「リズベルル」は楽曲以外の作品の核となる要素に関しては全て個人制作である。
 ある程度、クオリティの要求レベルを下げてもいたが、それでもこの規模の作品を、この期間で、たった一人で作る人間はそうはいまい……。



□リズベルルの魔のテーマ

 「リズベルルの魔」のテーマは「肯定される事/する事」である。
 普遍的な問題で、判りやすいテーマだ。
 だから「リズベルル」の主人公の一人であるジンは、大人である。
 このテーマを描くのに、少年少女が主役ではいけないと思った。
 少年少女には未来がある。それだけである程度世の中から肯定されている。
 一方、大人になるとそうはいかない。多くの挫折を経験するし、人間関係から弾かれたり、歳をとる程に就職だって難しくなる。悩みは尽きない。
 ほんとうに自分は必要とされているんだろうか? 誰しもそんな事を思うだろう。
 ジンは、かつて輝かしい世界の中心に居た。明るい物語の主人公であった。
 けれど大きな喪失によって挫折し、世の中を、社会を肯定する事に怯え、自分など無価値だと思っている大人になってしまった。
 そんな彼が、リズベルルによってエンダージェン国に招かれるのだ。
 エンダージェンに招かれた彼は、弦奏鎧ヴィルフォーナを前に、見失っていた自分の価値を再認識する。
 もしかしたら何か出来るかもしれない。そんな想いが彼をヴィルフォーナに乗せ、黒海と戦う事を決意させる。
 一歩踏み出した彼は、当然エンダージェンの人々に受け入れられる。肯定される訳だ。
 こんなに簡単なことだったのか、と彼は思う。
 そして彼は、多くの人と出会う。
 人の上に立つ人、精一杯自分の日常を生きる人、挫折を経験した人、責任を果たそうとする人、道ならぬ愛を選ぶ人、また人ではないもの達とも出会い、ジンは彼らを肯定する。互いに認め合う。
 その果てに、ジンはプレイヤー=読者をも肯定するのだ。エンダージェン国にはあなたが必要です、と物語は語る。あなたが居てくれたから、彼らは此処まで戦ってくる事ができたのです、と。
 最後の戦いでジンに味方するあなたは、魔であり、デュオンである。
 作中で出てくる「デュオン」は重なり合う音、重音をもじった造語で、人が持つ普遍的なパワーの事だ。そうした「力」と言う形で、読者は物語の中に招かれるのだ。
 この展開をもって、私は物語の世界と読者の居る現実の世界とが等価であると示したかった。
 よくこのシリーズを紹介される時、“「リズベルル」はイユレールが読んでいる本の世界を舞台とした劇中劇である”と書かれる事が多いのだが、これは私としては少しニュアンスが違うと常々思っていた。
 リズベルルが暮らすエンダージェン国も、イユレールが入り浸るほんとうの図書館も、等しい価値を持った別々の世界なのだ。
 そして、それらは我々の住む現実の世界とは別個に存在するものである。
 此処では無い何処か、今では無いいつかの世界が、重なる時……それは物語のクライマックスに他ならない。
 全ての世界が等価であるからこそ、この物語は“ほんとうの物語”なのである。
 それだからこそ、物語の世界の住人が読者を肯定する事が出来る訳だ。
 もしかしたら、このテーマの本質は上述の様に日頃から肯定されている人には判らないのかもしれない。
 しかし、ある時ふと、周囲からはじき出され、否定される様な事があったら、自信を喪失する様な事があったなら、この物語だけはあなたを肯定してくれるのだ。
 「リズベルル」はそう言う物語である。
 そしてジンは最終的に、鏡像の様に立ち塞がる“否定され続けた世界”から現れた敵をも肯定する。
 これが私が「リズベルル」で描きたかった事だ。
 これらは「1」で描いた後、シリーズを通し「7」でより大きな展開をもって描く事が出来たので、満足している。



□リズベルル

 やはりタイトルにも入っている彼女の事には触れなくてはなるまい。
 リズベルルは「リズベルルの魔」のヒロインであり、主人公の一人だ。
 彼女は類い稀なる才能を持ってはいるが、至って普通の少女である。
 最近のアニメや、漫画や、青少年向けの小説では、ヒロインは主人公に惚れるのが当たり前だ。
 リズベルルは違う。「1」の主人公であるジンに恋愛感情を抱く事は無い。
 それどころか、一貫してノルアードの方に夢中である。ノルアードはノルアードで、リズベルルを愛している。
 リズベルルにとってジンは、友であり、兄であり、父亡きあとに出来た喪失感を埋めてくれる“家族”なのだ。
 リズベルルは物語のスパイスだった。
 ジンはリズベルルに招かれてエンダージェン国を訪れる。そうして、リズベルルと一つ屋根の下で暮らす訳だ。
 リズベルルを愛している筈のノルアードも、何故かそれを許す。
 ジンはリズベルルの魔だ。リズベルルは、自分が招いた魔であると言う理由で、ジンを全面的に信頼している。ノルアードもまた、初めはリズベルルを通してジンを信頼する。せざるを得ない。
 「リズベルル」で無ければ不思議な展開かもしれない。
 普通のストーリーだったら、恋人関係になるのはジンとリズベルルだろう。
 しかし「リズベルル」においてリズベルルは、読者の為のヒロイン(恋人)では無い。読者が主人公に自己投影し、疑似恋愛する対象では最初から無いのだ。
 「1」において、こうしたスパイス的な役回り以外で、実はリズベルルは物語に然程重要な存在では無い。
 「1」はジンとノルアードと、そしてシズマの物語だ。
 物語の大きな局面で重要となるのは、彼ら男性陣である。
 リズベルルは物語のスパイスであり、マスコットなのだ。
 はじめ私は、「リズベルル」で恋愛を描くつもりは無かった。
 リズベルルはノルアードの事が好きだ。憧れている。けれど、それは本当の意味での恋では無い。愛でも無い。まだ未発達な感情である。
 ノルアードはリズベルルに強く惹かれ、愛しているが、彼女はまだ子供であるとした上で、一人の人間として尊重するあまりに、想いを告げられずにいる。
 この微妙な均衡のまま、関係を進めるつもりは無かった。
 「1」は特に恋愛面では進展せずに終わる。これで“完”だ。「1」を書き終えた時点では続編を書くつもりは無かったし、むしろ続編を書く事は閉じた物語を再び開いて台無しにする行為だとすら思っていた。
 内側から発露するイメージによって、続編もあり得るかもしれない、と思った時、私はリズベルルの扱いについて大いに悩んだ。
 ジンは伸び白の無い主人公だ。そもそも自立した大人であった彼は、「1」で問題の全てを解決して、完全に確立した存在となっている。
 ジンが次に主人公になるとしたら、物語を反復する時だ。「1」のテーマを拡大し「7」でもう一度語る事で、ジンは再び主人公となる。
 であれば、リズベルルだ。
 彼女をマスコットから、主人公に昇格しよう。
 そこで登場したのが「2」のメイン格であり、シリーズを通して第二のヒロイン的な存在であるネムリーだ。
 本来のリズベルルは明るく、元気な、才に溢れた少女であるが、父の死や失明等の様々な問題で抑圧され、それがかえって大人びて見える様な、不思議めいて感じられるキャラクターである。
 ネムリーは逆に、臆病で、不安で、いつも誰かに縋りたいのに、重責故にそれを誰にも吐露出来ず、強く、気高く振る舞うしかない……人々の上に立ちながら、どこか不安定な少女である。
 対照的なリズベルルとネムリーだが、だからこそ二人は親友となる。
 問題の多くを「1」で解消し、同年代の友達が出来た事で、リズベルルは持ち前の明るさを取り戻す。
 こうした段取りを経て、リズベルルは主人公らしく振る舞う様になった。
 ネムリーのお陰で恋愛面への興味も強まっていく。ネムリーは性を匂わせる存在だ。
 特に伝統を重んじる剣主の家系に生まれた彼女は、何れはより強い力を持った後継ぎを生む事を期待されている。
 彼女の周りに居る男達、とりわけ三騎士と称される彼らは、実は御三家の長が用意した才能と力と家柄に優れた彼女の夫候補でもある。言ってしまえば種馬だ。
 彼らは年下の少女であるネムリーに忠誠を誓い、心強い剣となり盾となってくれる。けれど、だからこそネムリーが心から拠り所に出来るのは同じ血を継ぐ兄のボルダナだけなのだ。
 そうしたプレッシャーの中で、ネムリーは強く可憐で奔放に見える。しかし彼女の本質は初登場時に見せた儚さと弱さにある。これが後に「7」で活きてくる。
 ネムリーにとっても初めての同年代の友人となるリズベルル。リズベルルの居る場所では、ネムリーは等身大の少女だ。そんなネムリーに秘めた想いをからかわれても、リズベルルはまだまだノルアードに憧れている段階だ。
 「2」でもまだ悩んでいた。恋愛を話の軸にする事は避けたかったからだ。もし描くなら、浮ついたものでは無く、もっと真摯な愛で無ければならないのではないか……。
 「リズベルル」の「1」は、ジンとノルアードとシズマの、友情の物語だった。友情もまた愛である。方針が見えてきた。
 「3」においては少女達の友情の裏で、家族愛を描いた。また「3」はそれまで父親不在だった「リズベルル」に父親が登場する話でもある。
 「7」から本格的に登場するあのキャラクターもそう言った流れでここから顔を出す事となった。
 そして「3」の軸となる少女・プランシューネは物語全体を通して重要な役割を担う存在である。
 彼女はオリンの言うところの“潰えた可能性”でありながら、リズベルル達の“未来”を願う存在でもあった。
 「4」ではリズベルルに異性の友達を作ってあげた。「4」もまた親子の物語だ。
 「リズベルル」には親と子のエピソードが多くある。「リズベルル」において、多くの場合親の世代は何かに失敗し、挫折を経験した者達である。
 その失敗を、次の世代で乗り越えていく。そしてまた次に繋いでいく。「リズベルル」ではそう言った事も意識して描いた。
 物語を経て、リズベルルはだんだんと成長していく。
 そして「5」だ。
 コメディ的などたばたストーリーである「5」はリズベルルの成長のエピソードだった。
 1〜4の中でも成長してきた彼女の、転換となる時期を描いた物語である。
 少しずつ少しずつ成長してきた彼女は、「5」の物語の中で自分の心と体の成長を自覚するのだ。
 「6」では母親が登場する。エピソードのヒロインであるナーギアの母・アナメアだ。
 「リズベルル」には父親は多く登場するが、母親の影は薄い。
 これは勿論、シリーズ中でも最も謎めいた存在であるリズベルルの母の存在を際立たせる為である。
 「7」において、リズベルルは自分の母親に関してある大きな決断を下す。
 その時に、“本当にそれで良いのか……?”と尋ねる人がいる。母親の立場からアナメアが発した言葉であり、彼女はその時の為のキャラクターだった。
 さて、「5」で成長を自覚し、「6」において少し大人びた容姿となって登場するリズベルルは、このエピソードの中では脇役である。
 読者にとって、「6」はシリーズの中で一番リズベルルが遠い話だろう。
 成長する過程で、親からちょっと距離を取り始める様な……そう言う寂しさも「6」の中にはある。
 しかしその裏で、リズベルルはすっかり大人になっているのだ。
 一人の女性として、誰かを愛せるまでに成長している。
 そうしてやってくるのが最終章である「7」だ。「7」はセリオラ篇よりもさらに未来を描く、シリーズ本編最後の物語である。
 「7」において、リズベルルはノルアードを愛する。ノルアードははじめからリズベルルを愛していたが、想いを告げる時が来たのだと言う事を知る。
 「7」のストーリーの早い段階で二人の関係が進んだ事と、その展開に関して、驚いた読者もいたかもしれない。
 ある意味では、二人の進展は一部の読者を突き放す事でもあるが、読者とキャラクターは等価であり、読者は読者の人格を保ってエンダージェン国に招かれる必要があったのだ。
 私は元々このシリーズで恋愛を描くつもりは無かった。
 リズベルルは読者の為の恋人ではない。はじめからノルアードと結ばれる事が決まっていた。それは「1」のコルグストムの台詞からも判る。
 シリーズ化によって、これは大きな意味を持つ事となった。
 だから「7」では、もっと先の事が描かれる。愛する人を見つけて、家族となり、子供が出来て、そして前の世代から受け継がれてきた想いは、また未来へと繋がっていく。
 リズベルルは親になった。彼女の両親をはじめ、挫折の世代だった前の世代を乗り越えてゆく存在となり、そして次の世代を温かく見守る立場となった。
 「リズベルル」はリズベルルと言う人の成長と、そして愛と友情の物語だ。陳腐な言い回しかもしれないが、そうなのだから仕方が無い。
 “肯定”、“デュオン”、それはつまるところ“愛”……を描いた事で、「リズベルルの魔」の本編は完結となった。
 世界観とキャラクターとアイテムとギミックと伏線の全てを使いきってもうすっかり幕である。
 けれど、実はもう一つだけ、やり残した事がある。
 本編でも描く事は出来たが、どうしても構造上無理が出る為、削った部分だ。
 「リズベルル」の物語ははてしなく続いていく。
 いつかきっと、彼らの物語の扉がもう一度開く事もあるだろう。打ち明けてしまうと、上の方で書いた「番外編」がその機会の一つだ。
 すっかり使いきった筈の「リズベルル」は、どうやらまた別な形でもう少し続く様である。
 期待していて欲しい。
 

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